解任劇という「話題」にしていないか

随分若い頃、流暢な日本語を話す高齢の韓国の方と接する機会があった。

 

思わず、日本語が上手であると言う主旨の言葉を掛けてしまった。その時、思いがけず殺気を帯びた怒りの感情を感じ取り、はっとした。

 

日本人は、自分を含めてだが世界の歴史に無頓着過ぎる。若くて何も知らないからと、許されるのは日本の中でだけだ。人の気持ちを気遣い傷つけないようにしましょう、等ということではない。そのレベルではなく、

 

その言動・態度によっては、危害を加えられてもおかしくないのだ。知らなかったから仕方がないよ許してくれよのレベルでなく命を落とすかもよ、ということだ。

 

若者は外国に好んで行かなくなったと言われるが、世界との交流はこれからも続いていく。自分達の防御の為にも、もっと国民に世界の歴史・情勢を教えることだ。

 

解任劇、という「話題」で終わらせてはいけない。これを国民はどのように理解したのだろう。こんなことでとか、本人は反省しているから許せとかいうことではない。

 

日本人全体の問題だ。日本全体が世界的には許されないような事を容認していたということだ。これは、氷山の一角である。たとえ悪気はなくてもこういったことは様々な所であったし、今もあるかもしれない。何が問題か個別の事象として捉えず、日本全体のこととして考えることだ。この人物を擁護して自分の正当性を主張している場合ではない。