「弁える」という言葉が、流行っていたけれど

誰ぞやが放った、「弁える」という言葉が少し前、流行っていたけれど

 

「弁えろ」と言われるべきは本当は誰なのか。その時は女が弁える、ことを促されたようだが、一昔前は男や年配者がきちんと弁えていた。だから世の中成立していたと言えないか。

 

同じ職場で、男より女、年配者より若者、の方が能力が高いことは今も昔も普通にある。一昔前までは、男や年配者はそれを見て、きちんと弁えていた。

 

自分より能力が高い女や若者に権力を振り翳すのは、恥ずかしいことであると心得ていたのだ。男として生まれた、早く会社に入っただけで、社会や会社では自分が優遇されている。それを彼らが理解し弁えていたから、女が男を立てることを良しとでき、若者が年配者を立てることができ、年功序列が成立していた。

 

ところが、今はなぜか勘違い男や勘違い年配者が増えた。能力とは関係なく、男として産まれたから、先に会社に入社したから、という理由で社会や会社に優遇されているにも関わらず、自分の方が能力が高いと勝手に思い、権力を振り翳す輩が増えた。それでは、優秀な女や若者が怒るのは当然で、社会が成り立たない。

 

そんな社会の中では、女や若者が「弁えろ」と言われるのはお門違いで、今の社会では寧ろ、昔の社会を見習って男や年配者が優秀な女や若者に対して「弁えろ」、と言うのが適切であろう。 

 

付け加えると、弁えない男や年配者は保護されていると思っているから、大抵能力を磨かない。だから近年、女は釣り合う男、若者は釣り合う職場(の上司)に巡り合うことができないことが多くなった、という一面があるのだろう。