それは女性活用ではない

女性の自〇者が増加していると言う。その中で、女性のデジタル人材育成という言葉が目に入った。ようやく政府も気付いてきたか、と明かりが見えたように思えた。が、違った。その隔世の感に絶望した。全く状況が見えない輩たちが、政策を考えていると感じた。それでは何の助けにもならないのだ。

 

よくよく話を聞いてみると、それ(デジタル人材育成と)は「スマホの使い方を高齢者に教えることができるようにする」ことらしい。「そういった仕事が女性にあっている」などと、どこの省か見なかったが高齢の男性が報道番組で訳知り顔でのたまっていた。そんな考えしかないから、女性の自〇者が増えるのだ。

 

女性が自立できるような仕事やポジションを作ることが肝要なのだ。スマホを教える仕事で自立したり子供を養育できるのか。できる訳がないだろう。そんな(自立できるような、子供育てることが十分できる稼ぎができるような)仕事をさせる気がないことが、悪の根源なのだ。そんな仕事(余裕時間で主婦が行うような仕事)であったら今でもいくらでもあるだろう。底辺の仕事だ。

 

場所を変えて(時代に合った)底辺の仕事をさせよう、ということに他ならない。彼女達に能力がない訳ではない、させる気がないだけだ。なぜなら、女が同じ仕事に就いたら、男が負けるのが目に見えているからだ。もっと価値を創造する仕事、ポジションを作ることを考えることだ。そんなことを発想もできないような高齢者を、政策を作る側に組み入れてはいけない。

 

本気度、真剣度が伝わってこない。小手先でやっている振りをされても、女は納得しないどころか、憤りを感じるだろう。高齢の現場を知らない呑気(とみえる)輩ではなく、現場を知っている人材を政策決定の要に据えることだ。