一番大切なもの

現代社会に生きる人々は忙しい。いつも何かをこなすことに追われている。タイパ、タイパと言われ、いかに効率よくそれらをこなすかを考えることに頭が集中していないだろうか。

 

だが、一番大事なもの、一番人にとって大切なものは何だろう。人として生まれている限り、それは人の心・身体なのであろうと自分は思う。それに気付くことは、それに気付くことは遅すぎてはいけない。

 

良い教育を受け、良い会社に入り、多くのお金を稼ぐ、そして、子供にも同じことをさせようと、心力する。これがまだまだ現代社会の普通の人々の生きる目的になってはいないか。そこで大切なものを見失ってはいなか。

 

又、一番大切にしなければならないのは、本当は自分なのだ。優しい人は他の人に気を遣う。それはそれで良い。だが、自分にまず気を遣うことだ。それは、自分を育ててくれた親、祖父母その他親戚の人達、自分を大切に想って愛情を与えてくれた、その愛情や親切を無にしないことになる。周りの良い人達は、自分が幸せになって欲しいから色んなことをしてくれる、それにこたえて幸せになるのが、その周りの良い人に報いる方法でもあるのだ。

 

それもよく分からなかった。自分が犠牲にならなければとか、自分が幸せになるのは悪いとか、思ってはいけない。自分が幸せになる為に、他の良い人達は心力してくれるのだ。それを心に留めて、自分が幸せになることにも心力しよう。

優しい人 尊い人

優しい人から、その人の望みを引き出そうとしない方がいい。絶対に言わないと思った方がいい。それ(言うこと)を期待しない方がいい。

その優しい人の望みは、愛する人が幸せになること、愛する人が好きなように生きたり行動できたりすること。それが望みなのだ。だから、その人に愛されている人は、その優しい人が傍にいることができることが嬉しいことを、素直に表現しよう。素直に。決してひねくれた言い方ではいけない。想いは伝わると思っても伝わらないこともある。

でもその優しい人をきちんと観察して、例えば何か好きな食べ物はないか、そういうものを推し量ってプレゼント等するのは良いだろう。じっくり考えて優しい人の為に選んだらそれはその心は伝わるだろう。嬉しいという態度をしないかもしれない、それは気を遣ってのことかもしれない。だが、それはそれでいい。優しい人にはその内きっと伝わる。もっとよく観察して、もっと好きなものこんな形で貰ったら嬉しいと思うようなものを観察すると良い。それが、その時間の使い方は本当に価値のあることだ。分からないからと素通りするのは、簡単だ。だが、愛してくれる人の為に時間を使うことは最も重要な時間であることを気付くことが、その人の為にも自分の為にも重要だ。

優しい人は、自分の望みを言わない。だから、喜んでくれることが分からない。だからと言って、諦めてはいけない。じっと観察すると見えてくるのではないか。

逆に簡単に自分の望みを言う人は、あまり拘わらない方がいい。その望みを叶えてあげると、さらに大きな望みを言う、挙句の果てに、、、優しい人が望みを言ってくれないからと言って、簡単に望みを言いそれを叶えさせようとする人の望みを叶えてはいけない。本当にやめた方がいい。そうして望みを叶えてあげた輩に酷い目に遭わされて、その負担をさせられるのは、優しい人だ。優しい人に負担をさせてはいけない。絶対にいけない。だから、自分を守るのは、優しい人を守ることになるのだ。自分を犠牲にしてはいけない、というのは、優しいあなたを愛してくれる人に負担を掛けることになることになるということを覚えておいた方がいい。

優しい人、尊い人そんな人の傍にずっと居たかったら自分も大切にしよう。優しい人優しい人に愛されている人にお願いだ。

 

 

 

 

大切な人

「自分を大切に」「自分を大切に」と何人の人達に何度言われただろう。自分を大切にするのはエゴイストだ、とか自分のことを大事にするのを悪い事だ、と思う自分には無理な話だ、自分を犠牲にするのだから、良いのだろうと思っていた。幼少の頃から、あなたは羨ましい、いいないいなと周りから言われてきたゆえだろう。皆に良くして貰える自分は、周りからみるとずるい人間なのだろう。ずるい人間でいたくないと思っていた。自分を犠牲にすることが、周りにとって良いことだと思っていた。自分が自分を蔑ろにするのだから、幸せな気持ちになったことはない。それでも良いと思っていた。

 

通常の人は、自分を大切にしない自分を、見限る。良くしてあげても良くしてあげても、それを拒否する。そんなものはいらない、何かやって貰うと周りに羨ましがられるから、やって欲しくない。もっともっと働かせて欲しい、自分が犠牲になる道を突き進もうとするからだ。

 

だが、本当に本当に自分を大切に思ってくれる人は、私を責めたり見限る代わりに、自分が犠牲になってしまう。私はとんでもないことをした。自分を大切にすることは、相手を大切にすることでもあるのだ。自分を大切にしてくれる人は、自分に幸せになって欲しい、苦労させたくない、自分が嫌だと思うことはさせたくない、と真に思ってくれるのだ。それが故、なにも言わず犠牲になってしまう。それが積もり積もってしまっていた。

 

どうして、こんなにも大切にされていたのに、大切にしてくれていたのに、それを受け入れなかったのだろう。なぜだろう。もの凄く辛い。自分が犠牲になったことで辛い思いをしたことなんてない。

 

こんなに辛い思いをさせていた、それが辛い、本当に辛い。物凄く辛い。

自分を大切にすること

自分を大切にすること、特に真面目な人は、これをなかなかできない人が多いのではないか。だが、本当にこれは大事なことなのだ。自分を大切にすることによって、自分の大切な人を守ることができる、自分の大切な人を助けることになることも多いのだ。

 

自分は、これがなかなかできず、結果的に相手を想い過ぎて、相手をとんでもない目に遭わせてしまった。取り返しがつかないことになってしまった。結果を見て、自分の悪かったことは何かと永遠と考えたが、自分の倫理観・道徳観はやはり間違っていなかった。だが、自分の倫理観・道徳観を守ることで相手を痛めてしまう。これが分からなかった。相手のことを想い、相手を傷つけないように考えて考えて、自分を犠牲にした結果、相手が犠牲になってしまった。

 

具体的には言わないが、これは真面目な人に覚えておいて欲しい。自分を犠牲にすることは、結果的に相手や周りが犠牲を被ることが多いのだ。

 

仕事の場で、「自分を大切に、自分を大切に」と何度言われてきたことか。その意味が全く分からなかった。自分を大切にするなんて、人のやることではない等と思っていた。その結果、巡り巡って自分の一番大切な人を失ってしまう。自分の大切な人に、照れ隠しや重いと思われたくなくて、大好きだとも言えず憎まれ口ばかり叩き、傷つけてばかりいた。

 

相手に良く思われるようなこと等態としたら、あざといのではないか、などと思っていた。だが、良く思われるようなことをしたら良いのだ。相手をダイレクトに喜ばせたらよかったのだ。

 

後悔しかない。もっと、自分を可愛がる大切にすることによって、相手を大切にすればよかった。

 

分かる人にしか分からない言葉だが、記しておく。これから、自分を大切にすることができるかどうか分からないが、それは心にとめておこう。真面目な人は、自分を犠牲にすることが、美徳だと勘違いしがちだが、それは大いなる勘違いであると認識することも大切だと覚えておくことだ。

 

 

農作物のWebプラットフォームでの売買の観察

某プラットフォームでの農作物の売買が行われている。売主の言葉が自己紹介欄に書かれるが、悲壮感や憤りに近いものが並べられている。

 

実際の売主の手取りは本当に微々たるものであることも多い。

個別に発送するので送料が大きく掛かる、それが大きい。そしてその送料を含めた売り上げの10%がプラットフォーム代となり、専用の箱や中の梱包資材代も要る。

そうすると、利益10円20円位で実際の果物や野菜を送っている人達もいることになる。利益等とすら呼べない、作物が10円とか20円となるからだ。作物を作るには農業資材が必要で、その種や苗も必要だ。そして何より労働力、こんなに掛かったら10円や20円で、できる訳がない。

 

それでも、他の人達も安く提供しているから、それ以下にせざるを得なくて行っているのだろう。プラットフォーマーは農作物売買のプラットフォーム代は無料で提供すると、日本の農業支援にもなるからそれを行うと企業の価値もあがりそうだから、やると良いだろう。以前テレビのニュース番組で、農協に売るより、手取りが増えるからありがたい等と言わされている夫婦がいたが、実際にはとんでもない安い価格で売らざるを得ず、手間ばかり掛かりさらに客からのクレームにも対処しなければならない。利益が10円20円なのを分かっていて、低評価をつけている輩もいる。あまりにも、知性がなさすぎだ。

 

「ほんの数g足りないだけで低評価はやめてほしい」「農作物の中身は個別に異なるから味の違いはある、それが分からないならチョコ食べててくれ」「少しの傷も許さないなら、高級品店で買ってくれ」「忙しいからメッセージできない」「○○の人は絶対に購入しないで下さい」 等など、もっともなことも多い。低価格で買っておいて、高級品店並みの品質やサービスを求めている購入者側に問題があるような気がしてならない。

 

日本の農業者は利益度外視で営んでいる所も多いだろう。多くの国では、農業分野に潤沢な補助金を与えているというが、日本は違う。食べ物は、皆が必要なものであるから、高くてすべての人が買えないものであったら困るので価格が低く設定されている。それが前提なのだから、適切な施策を講じるべきだ、が実際にはそうなっていない。

 

複数の流通経路を模索しての出品だと思うが、それでこれだけの利益ではやってられないと思うのが実情だろう。そこに、購入者の無理解。農業に関わる環境は厳しさを増していて、それを理解している人達も多くはなっている。今後、どんな状況であるのか分かる人でなければ、売主は作物を売ってくれなくなるかもしれない。農業の実態を理解をしましょう、農業者のことを想いましょう、というのは、農業者の為ではなく、買う側の為であることも覚えておきたいものだ。

 

 

タレントの週刊誌記事に関して

週刊誌の記事に対して、某タレントが名誉棄損で提訴をしたことが話題になっている。

色々擁護している有名人が多くいるが、おそらく同様のことを行ってきている人達だろう。自分擁護をしていると捉えても間違いなさそうだ。

この話題になっているタレントだけではなく、他のタレントも当たり前のように同様なことを行っていたことは、事実であろう。芸能界と関わりのない自分でさえ、同様の話は聞いたことがある。実際にそれを行っていた輩達は、自分達が同様の罪を犯しているから今の所は口を割らないが、ひとたびそれが開示され、事実を被害者が安心して言えることになった時、そういった輩は無限に出てくるだろう。

自分が話を聞いたのは、芸能人ではないがその関係者ということで同様のことを行ったと告白していた。しかも、女達は喜んでいると宣っていた。唖然としたが、そういった輩達はそう認識(勘違い)しているのだ。

勇気ある女(当時19歳)の人がXで告発をしたということも話題になっているようだが、本当に偉い。その女の人にはメリットはないどころか、社会から非難を浴びることは分かっているだろう。それでも実名告発したことは、賞賛されるべきだ。

このタレントだけでなく、他のタレントから加害を受けた人々も次々告発されると良い。これを機に、日本人の女をそんな風に扱う悪しき風習は終わりにすることだ。どこかで、告発する人を保護し、誉を与える所が欲しいものだ。

日本社会全体が女をこのように扱い続ければ、直接の被害者が多く出るばかりでなく、間接的にもより良い仕事に女が就けない、ことで日本の活力も下がり続けるばかりだ。この問題は1タレントの過ちという短絡的な問題ではないことを、多くの人が認識されなければならぬだろう。

 

 

 

 

 

車の購入には無駄な時間が掛かり過ぎる

車の購入を検討している。それには、時間が非常に掛かることが判明した。これでは、なかなか若者が普通に車を買おうと思わないのも納得できる。購買意欲もそそられない。購入資金がないことが若者が車を買わない理由として挙げられるがそればかりではないだろうと、思う所である。

 

日本では、各車メーカーのディーラーをいくつも廻らなければ、知識も得られないし納得のいくものを選ぶこともできない。某新聞に載っていた記事にあったが、アメリカでは、一つのディーラーに各社の車が並べられていて、そこから選ぶことができるらしい。だから競争が激しく各社猛アピールをしなければ、買って貰えない。だから、車選びに掛ける時間も少なくて済むし、購買意欲もそそられる提案等もあるのだろう。とても羨ましい。

 

かたや日本の各社ディーラーに行くと、もう何の車に決めているのかを尋ねられる。決まっていないから、どのような車があるのかそれを紹介して欲しいのにだ。そして何をし出すのか見ていると、適当に車種を決めグレードも適当に決めさせられ、オプションを選ぶように求められる。一体各グレードは何が違うのか、このオプションは何なのか、殆ど説明がないままだ。そして、各種費用を計上され見積が完成し、それを買うよう強要される。圧力、脅しのようなものが入る。なぜかと言うと、あなたに教えてあげて、見積まで作ってあげたから。こちらとしては、態々出向いてあげているのに内容も説明なしに見積を作成され、その少しばかりの手間を恩に着せられ高い買い物をしなければならない、のは兎に角変な感じだ。しかも大して丁寧な(洗練された)対応でもない。

 

一体何なんだ。これまで自分は、家の出入りの業者が車の手配をしていたので、それに任せていた。一般の人は、こんなに嫌な思いをして車を購入しているのか。初めてディーラーに出向いての購入を試みているが、相当時間を掛けなければ、車選びができそうにない。何社か廻って、もう挫折している。一旦休憩だ。普通の人はどのように車を購入しているのか知りたいものだ。