夏の果物

お盆前後は、様々な日本の果物を頂戴する。

葡萄、メロン、桃、梨 等 どれも見た目も立派で美味しい。種類も豊富だ。例えば葡萄は、シャインマスカット、巨峰はじめ昨日は「ロザリオブランコ」「ゴルビー」なるものを食させて貰った。芸術作品のような見た目で、種子もなくひとつは皮も食べる事ができ、味も適切な表現が分からないが甘くてとても美味しい。

 

これだけの果物を作る民族は日本人以外に居るのだろうか。だが、これを作るのに相当の農業資材が要るだろうし、日本には厳しい規格があるからそれに沿わないものは出荷すらできないのだ。生産する側はこれを作るのに収支は合っているいるのであろうか。本当の所のこの実態を知りたいものだ。

 

果物の値段は年々高くなるが、生産者は次々辞めて行っていると聞く。農業を新規に始める若者も多いと聞くが、補助金が切れると早々に去っていくようだ。と言うことは、儲からないと分かったからか。様々なデータがあるが、何かを意図して作られているものもあるだろうから、本当の所は知る由もない。議論をする為に、それでも良いので実態を知る数値を出して欲しいものだ。

 

 

 

 

 

自然栽培の前に

前ブログの食の安全という話は、自然栽培に興味の方向が向かうという話の続きである。

 

自然栽培は、農薬・除草剤や肥料を使わないで栽培することを言うようだが、これは現時点ではかなり難しいことなのではないか。その方法論は確立していないようだ。今実際できている方々は手探りで、自分で試行錯誤しかなり年月を費やして行っているようだ。現実には誰もが取り組めるものではないようだ。

 

又、自然栽培以前に慣行農法で作物を作るのも実は容易ではない。農薬や肥料を使えば、農産物も工業生産化できるなどと戯言を言う輩もいるようだが、農産物はそもそも簡単に工業生産化できるものでもない。農薬や肥料を規定通り施しても、その土地や気候その年の天候に左右され一律にできるわけではない。よく、「訳アリ」等と称して売られている作物があるが、それは厳しい規格に形サイズがあっていないものだ。味や成分は同じなのにそれを安く売らなければならない。収穫のかなりの割合が規格に当てはまらないこともあるそうだ。農作物は、それら(農薬等)を使っても規定通り作ることができないことが当たり前のものなのだ。

 

それを、自然栽培・自然栽培と慣行農法で作物を作ってもいない者達が偉そうに叫ぶのはおかしいし、かと言って今後も農薬や肥料を使うことばかりを良しとも思えない。食糧危機とも言われているが、日本の一般の人の農作物に対する理解や知見が著しく低いのが原因の一つなのではないかとも思えてくる。

 

農作物自体、作るのがどれ程難しい(手間暇掛かる)か、を知らない。それに対して安さばかり追い求める消費者。そして、自然栽培はさらに難しいにも関わらずこれにも安さを求め、上から目線で評価する者達。これでは、なかなか作り手が広がらない。

 

今、農業関連の補助金が出るというので、新規参入する若者が多いと聞くが、補助金が出る期間が終わると途端去っていくことが多いらしい。一時的に機械や田畑を買う補助金を出す、という無駄金を税金から出すより、もっとやらねばならぬことがあるのではないか。

 

色々と、本や動画等と読んでいくと、おかしなことが多いと思えてくる。

 

食の安全性について

日本の果物は美味しくて綺麗だ。いつも美味しく食させて頂くのだが、その生産過程について詳しく知ろうとすることがなかった。そこで、それについて本やウェブ上の記事を読み進めると、その生産者の経営状況、はたまた自然栽培・自然農法に興味の方向が行きつく。

 

自然栽培・自然農法に携わる・興味関心を持つ関係者の言葉を借りると、今の果物はあまりに工業製品化され過ぎである、と。成程、これだけ形が揃った味も均一なものを大量に生産しようとすると、農薬や肥料を使わざるを得ないと考えるのが道理だ。それは、人々の健康を脅かす元になるのだ。

 

生産者は消費者ニーズに合う規格に沿ったものを作ることを強要される(売る為には規格に合ったものを作らざるをえない)。だが、それで本当に良いのだろうか。形やサイズ・甘さを第一に考えるより、安全なものを作る方が優先されるのが本当ではないか。実際には、苗木も農薬や肥料を使うのが前提で作られている為、自然栽培はどんどん難しくなっているようだ。

 

形が良い・見た目が良い・甘いものをありがたがり、自然に出来る農産物はどんなものなのか、知る由もない。そんな消費者が大多数の世の中では、この傾向は続いていくのだろう。まずは、消費者が食について勉強し何が大事なのか、何か今おかしくなっているのか、の知識を得ることが大事なのではないか。

 

 

株主総会の拍手とは

株主総会は、その昔総会屋と呼ばれる人々が居たと聞く。具体的にはどんなことをしたのか、実際に見たことはないが、今でもその類の人々は形を変えて存在してはいるのだろう。

 

株主質問なるコーナーがある。コーナーと呼びたくなる程、おちゃらけな人達が発言してくることもある。その反対に、会社に文句がある人も発言することがある。それが長引きそうになると、決まって議長の発言の後に拍手が起こる。もう、その話は止めろと言うことだ。最初は本当に株主達が、会社の人達は頑張ってやっているのだから文句を言うのは止めろよ、と言う道徳的な観念から行っているのと思っていたが、そうでもなさそうだ。

 

ちょっとした議長の良さげな発言にさえも、その後にわざとらしく拍手が入るのを聞いて、何かおかしいと思うのは自分だけではないだろう。

 

所謂、「シャンシャン総会」にする為の総会屋である。総会屋とは呼ばないにしても、株主総会には、その会社の関係者が相当数居るようである。

 

その会社の現場に居た人が言う話等、発言内容は的を得ていることもある。

詳しくは分からないが、そういうことを行い続けて、会社が今後発展し続けて行くことに貢献して行くのであろうか。そうであれば問題ないのだが。

 

消費社会からの脱出

おりんを磨きに出したら、ピカピカになって帰ってきた。線香の煙に長年晒されくすんでいたのだが、正に蘇ったように金色に光るおりんに戻っていた。凄い職人技だ。元々は買い替えようかと考えていたのだが、今使っているものを磨くこともできると紹介され頼むに至った。

 

昔は良いものを磨き修繕しながら長く使うのが普通であったのであろう。他の仏具もよく見ると修繕しながら使えば自分が考えるよりはるかに長く使えそうだ。現代の消費社会に慣らされていて、古くなったら買い替えという考えが身についてしまっていたことに気付いた。コンピューターや家電は高価なものでも進化していくので年数が経てば買い替えでも良いだろう。

 

だが、日本に昔からあるものは用途も変わらず良いもので作られているから、汚れたり少し壊れたりしてもそれを直せば永久に使えるのだ。そういう目で物を見て良いものを大切に使う習慣をもう一度取り戻そうと、ふと思った。

 

日本刀の作り方

以前、テレビ番組で日本刀の作り方を説明していた。

こういう複雑なことやあまり知られていないが知っておくと良いことを万人に分かり易く説明することにかけてはテレビは良い仕事をする。

(テレビで放送されたものを)書き写したのは、途中までで荒書きだが、覚書として残しておく。残念なことは、この日本刀作りに興味を持つ人の大半は今、外国人であることだ。外国の人に興味を持って貰うのは良いが、本来は日本人自身こそ、興味を持ちこの伝統を日本人魂と共に継承していかねばならぬのではないか、と思うところである。

 

吉原義人(刀鍛冶)方での日本刀作りの8つの工程

 

1.水へし 玉鋼の質を選別する 

玉鋼を熱して叩き、余分な炭素が入った部分をそぎ落とす工程

赤くなるまで熱した玉鋼をハンマーで打ち延ばす(日本のハンマー7.5kg)

力一杯2時間、叩き続ける

余計な部分が削れ、純度の高い塊になる

 

2.鍛錬 玉鋼の強度を高める為

叩いて伸ばした玉鋼を折り、また叩いて伸ばすを繰り返す工程

*お湯が煮えるような音がしてくる。ぐつぐつぐつと言う音が大事。鉄が沸いてから叩かないと鍛錬の効果が何もない。鉄が沸いた音

 

3.折り返し鍛錬

叩いて伸ばしたら、切れ目を入れ、押し返して再び叩く

折り返すことで、2層、4層、8層と増えていき、2層×15回で3万以上の層

折り返すことで、粘りと強靭さが増す 日本刀の強靭さに欠かせない工程

アンドラーシュ 1万4千程

 

4.組み合わせ

鍛錬した硬い鋼と柔らかい鋼を組み合わせ、丸2日掛けて棒状に伸ばす

これをグラインダーで研げば、ようやく日本刀らしい形になる 長さ70cm 手元9mm先端7mm

 

5.素延べ・火造り

切れ味と紋様で飾る匠の真骨頂

 

6.土置き

 

7.焼き入れ

切れ味をきめる

 

8.銘切り

建築文化振興法

文化庁有識者会議は、近現代の名建築やレトロな建物が残る街並みを文化資源として保存・活用するため「建築文化振興法」を制定し、継承に伴う税制優遇等を検討するように政府に求める報告書案を大筋で了承したという。

建造物の文化財登録の目安とされる築50年を迎える前に、相続などをきっかけとして著名な建築家の作品や地域に残る町屋の作品や地域に残る町屋を取り壊すケースが相次いでいることが背景にある、そうだ。

 

これは良い方向だ。素晴らしい建築物が取り壊されていくことには自分も危機感を覚えていた。早急に進めると良いだろう。日本の文化を本当に守ろう守りたいとする人々でこの施策が実行されていくことを願いたい。