「麻」は古代から戦前まで日本で普通に栽培され使われていた植物らしい。ある動画を観ていたらそのようなことを言っている人がいた。

 

大麻を栽培していた人が〇捕された、等と大麻はよく話題になりそれを扱う人は悪の構図だが、よくよく聞くとなんだそういうことか、ということが大まかに理解できる。新聞等は、彼らは大麻啓蒙活動のようなことをしている人で悪い人達、とような印象を与えているが彼らは何もそれだけ(嗜好品としての麻)を推奨している訳ではないのだ。

 

だが、麻と大麻の違いすら一般の人(自分含む)にはよく分からない。麻の生地はよくて大麻はよくないのか。それぞれどのような植物なのか。その植物のどの部分は良いのかよくないのか。その辺りをきっちりと説明したら良いとは思う。その動画も今一つ分からない部分もあるのだ。嗜好品として大丈夫とは言っているが、それを推奨したいとも受け取れるので混乱する。神事に使う麻としての役割は理解できるが、それ以外、一体何を世間は問題視しているのかの視点を、もっと知り詳しく説明して欲しいものだ。

 

麻は、人間の生活にとってとても有用なもので、あらゆる場面で使えるものらしい。夏に麻の生地の服が良いとは耳にすることだが、それ以外は自分もよく知らない。彼らの中だけで暴走してしまうと、一般の人には良いものも良いと映らない部分がある。

 

この動画の中で一番理解できたのは、石油製品を広めて利益を得たい勢力がいて、麻はそれに対して〇〇な存在であったから、悪者にされたということだ。麻が人間の生活にとってとても役に立つから、世の中から〇し去りたい。それはそうなのか、と理解できる。

 

だが、麻と大麻の違いは分からないままだ。混乱を避ける為、いっそ嗜好品としての使用は潔く暫くやめるのも一つの方向なのではないか。

 

 

 

 

 

 

コンビニスイーツと国産大豆

健康について考え、必要な栄養素を取るにはと調べると、豆類が良いとかほうれん草やレバーが必要だとか、色々な食材の情報が出てくる。ところで、国産の大豆はいくらくらいするのだろう、と検索すると無農薬のものは1kg2,000円以上する。これは高いのではないか。

 

我々は加工食品はよく気にし手にするが、それに使われる原材料には気を向けなさ過ぎる。だがそれを買っている人はいるのだ。しかも評価が高い。その大豆をもとに味噌や豆腐を自分自身で作る人達だ。昔は、出来たものが売られているのになぜ態々作るのだろうと思ったこともあると思うが、これだけ良い材料で作ったものは市販ではなかなかない。本当に身体に良いものを食べたい食べさせたいと思う人達も増えてきているということか。それだけ良い材料で作ったものは、プロが作るのでなくても美味しそうだ。

 

かたや、コンビニスイーツの話をSNSに上げる人達は多い。確かに美味しそうだが、砂糖の塊だ。値段も安くはないが、手に入れられないまででもなく、簡単に食べられ満足感を得られる。一過性の楽しみだ。これについて考えたりお金を使うのなら質の良い大豆のことを考えたりそれに投じた方が良いような気がしないでもない。

 

同じ口にするもの、同じ命に変わるものであれば、良いものに越したことがない。だが、それを考えるような機会があまりに少ない為、短絡的にコンビニスイーツに走るのだろう。無理もない。現代人は、もっと食べる物に関して、考える場面が必要なのかもしれない。

 

農業と財務諸表

農業を営む上場企業というものは、あるのだろうか。実際に、米や野菜・果物を作って販売を生業としている会社だ。聞いたことがない。それが故、財務諸表は見たことがない。実際、今農業経営というのは採算が合うのだろうか。

 

これだけ、補助金を与えても若者は補助金が切れると去って行く位だから採算は合わないのだろう。栽培技術が要るし毎年農業資材も要る。技術習得に掛かる時間・労力や資材に掛かる経費に見合うアウトプットは簡単に出せないだろう。憧れで参入するのだろうが、業として成り立たせるのは至難の業だ。

 

なぜか農業に携わる人達は増えているようだが、それは販売に特化した人や実際に営んでいる人を偉そうに撮影したり、はたまた一定期間手伝う程度のことだ。憧れだけでは職業として成り立たないことを知っているのだ。

 

人間、自然にかえるというか自然と触れ合うことはしたいから、農業に憧れるのだろうが、業にまでは到達できない。諦めて、自宅の畑やプランターに自家用の野菜を植えて楽しむのだ良いだろう。実際、参入したが、難しく諦めたと正直に動画で話し、でも好きだから趣味で行うことにしたということを言っている人もいる。

 

今は個人個人で農業を営む所が多いから、それに携われる人も少ないだろう。大規模になり、しっかりとした財務諸表が作れ採算が合うようになれば、もっと直接的に携わることができる人も多くなるだろう。これができれば、日本の農業の未来はある。

 

農作物:研究機関を一つに

農作物を作る為の本やSNS等を読んだり見ているが、どうも一元化されていない。生産者独自の方法で、何とかやりくりをして、最善の方法を模索して作っている状況のようだ。作物の作り方の統合的な研究がなされていないのだ。

 

土壌の微生物の話でも記述したが、肌にいる微生物については大規模に研究されているが、土壌の微生物についてはどこも研究していないのだ。個人がそれを行うのは限界がある。生産者個々人がバラバラには行っているのだろうが、自分の畑の作業との兼ね合いでは時間が足りなさすぎる。

 

勿論細かいこと、この害虫が出たらこの農薬を散布して、この時期木が弱るからこの肥料を与えて等ということは農協等が農薬や肥料を売る為に行っている。しかし、話はそれとは全く別だ。農薬や肥料をやる為のビジネスとは次元が違うというものだ。

 

そうではなくて、植物の生長はどのような仕組みなのか、そのホルモンはどのように活性化されるか等、農作物時自体の研究だ。適当に一定程度の作物ができるようにという、対処療法的なものではない。

 

日本は、元々良質な農作物を作るのが得意な国ではないか。それを個別にその研究を任せていては、良質なものを多く作れないし、国力も上がらないというものだ。もっとその知見を集約して大々的に研究をする所を作ることが大切ではないのか。

 

農林水産省の管轄で行っている所もあるようだが、どうも民間の人の個別の経験値からくる方法の方がその上を行く感じだ。

 

スマート農業等と言って、ドローンで農薬を撒くというおかしなビジネスを流行らせるより、農作物の研究を行う方向に資金を使った方が良いのではないか。何だか、何かの力が働いているのか、それとも日本人がお馬鹿になってしまったのか、なぜだか解せぬ所が多い業界だ。

 

 

食べることさえしっかりしていれば

世の中、様々なことが起こり人は思い悩む。自暴自棄に陥ったりすることもあるだろう。しかし、食べる事さえしっかりしていれば、精神を保つことができ、なんとかなっていくだろう。

 

日本人の食が乱れている。今に始まったことではないが、あらためてそれを思う。食べることに精一杯であった時代は、多くの人が関心があったことであろうが、飽食の時代になり手間を掛けずに口にすることができるものが多くなり、その関心自体が薄れている。仕事や付き合いに忙しく、ゲームや遊園地等エンターテインメントも盛り沢山だ。食について深く考えている暇はないし、興味もそちらに向いてしまう。

 

飢饉こそなくなったものの、ジャンクフードばかり食べていては、その栄養状態はその時代並みなのかもしれない。何か口にできさえすれば良いと思う人は意外と多いのではないか。

食べる物についても、上手に広告宣伝をされている、お菓子やスイーツ・ファーストフードやジャンクフードに興味が行きがちだ。それを買うように促されている側面もある。

 

日本人に本当に必要なのは、美味しい米・塩・水・野菜果物・魚介類と少しの肉類なのではないか。これらをしっかり取っていれば、他のものはあまり食べたくなくなる。

 

毎日どこかの店に出かけて、食事が出てくるのを待って食べる、というのは時間的に無駄というか、それ位時間があるのなら仕事をした方が良いだろう。それらの良い材料を買って少々の手間で出来る物を毎日食すことに、もっと興味を向けた方が良いだろう。

 

飽食の時代、様々な美味しいものが世の中に溢れているから、それを我慢すると言っているのではない。食したいと思えば、そうした方が良い。だが、本当に身体に良いものを常に取っていると、左程それらが、気にならなくなるのではないか。

 

悩みがあれば、食について考え身体に良いもの(イコール美味しいもの)を食す。それで、何かが解決していくような気もする。

 

 

日本の食糧問題の前に

日本の食糧問題とか、食糧危機を論じる人達がいる。その前に、今ある食べ物を粗末にしている仕組みを何とかした方が良いのではないか。

期限切れだという理由で、誰の所にも届かないデパート等の総菜やスイーツ。サイズや形が規格に合わないという理由で出荷されない農作物。テレビの映像で見る、理由は分からないが、畑に大量に廃棄される野菜。

賞味期限直前に必要な所へ届ける仕組みがあれば良いし、サイズや形が揃っていなくても中身が良ければ良い、農作物が価格崩壊したらどこかの業者が引き取り加工品にでもする物流の仕組みがあればと思う。

兎に角、日本では身の回りにも活用できる食べ物を無駄にしている場面が多いことがまず先に気になる。日本は、いざとなったら自給自足できる、というようなことを言う人もいる位、食べ物も豊富だ。その無駄や物流の仕組みを何とかすれば良いのではないか。

一体、どうしてこんな仕組み・考え方になっているのか。そこの辺りも様々な議論が出来そうだ。日本は、何か皆おかしいと感じていても、それは仕方がない、とか意見は出すけれどもそれが何かに繋がることがあまりない。メディアで放映されてもタレントが意見をその場で言うだけでは何も解決しない。様々な意見を集い解決の方向に向かわせるような場が必要ではないか。

 

 

 

 

 

農産物:土の中の微生物

「化粧品を作る為に、皮膚に付いている微生物は一生懸命調べる人はいるのに、土の中にいる微生物は、誰も調べない」等と動画で話している方がいた。

 

化粧品を作ることは重要だが、作物を作ることはもっと重要だ。化粧品は身体の表面(皮膚)の為のものだが、作物は身体自身を作るものだからだ。そんな重要なことを日本はなぜ行ってこなかったのか。不思議だ。

 

他にも動画を見ていると、良い農産物を作る人は個々に独自の方法を編み出して行っているようだ。テキストではNGとされる方法が、本当は良いことはままあることらしい。だが、その栽培方法はご法度として本に掲載されなかったりすることもあるという。

 

良い研究を独自にされた人が尊重されず、それ以前に良い農作物を作る研究が全国的に進んでいない。勿論基本的なことは、やっているし、品種改良はあり、美味しいものができてはいるが。

 

これも不思議だ。良い農作物を作る方法を国の組織が編み出し、それを全国に広げるという仕組みがあっても良い筈だ。そうすれば、各生産者が困らなくて済む。

 

動画を観たり、SNS等で発信されているものを見ていると、何だがおかしなことが見えてくる。我々の食、生きる糧を作ることがこれ程蔑ろにされていて良いものなのか。美味しいお菓子も良いが、もっと根本のその材料を作ることについて、議論が行われたり広告宣伝がされても良さそうにも関わらず、何だかその話題については、ポピュラーではない。