終戦の日が近づくと

8月15日の終戦の日が近づくと、またある疑問が頭を過る。

 

なぜ日本は、真珠湾攻撃をしたのか。なぜその理由を解明するような根本的な議論がなされないのか。

 

毎年この時期になると、いかに戦争は悪か、戦争の犠牲者となった方々を取材し、それは駄目だ、二度と起こしてはならない、という向きの記事を目にするようになる。現代を生きる人、現在の日本人にとってはそれは合意事項だ。当たり前だ、戦争は何の罪のない人々をとんでもなく傷つける、二度とそんな思いをしたくないしさせたくない。

 

だが、それと同時になぜそれが行われたのか、という記事や議論があっても良さそうなのにそれがない。当時も反対派はいた筈だ、それでもそちらに突き進んでしまった。その原因を探らなければ、なぜそれに至ったか、いくら悪いと皆が考えていても、再度そこに突き進んでしまう可能性はある。そこを突き詰めることこともまた、重要なことではないのか。

 

この時期になると毎年目を凝らして新聞などを眺めているが、自分が議論となって欲しい記事は見当たらない。経緯を説明する記事が少しあっても、軍部が駄目だった、当時の政権の利己的な理由からだ、等と日本の政府を責め立てるような論説があるくらいだ。

 

自分が疑問に思うのは、次の通りだ。ペリーが開国をせまり、開国をすることによって日本に近代文明が齎された。その恩恵に預かり日本は一定の発展をした。その要の一つである石油は日本にとってなくてはならないものとなった。だが、突然その石油の供給を停止するぞ、さもなければ我が国の属国になれ、と迫られた。そんなことは受け入れられない、と日本は属国になることを拒否した、とある。これは教科書に書いてあった。概要だが、教科書にだ。誰も隠していない。

 

日本人として、これは理解できる。何言ってんだお前、と思うのは当然ではないか。どうして、皆これを議論しないのか。悪いのは奴らではないのか。それなのに、どうして日本人が責めるのは、日本人の軍部ばかりなのか。かの国では未だに、一般の人達もあの野蛮な奴ら、我々はあの屈辱の日を忘れない、等と根に持っているぞ。自分達が引き金を引いたにも拘わらず。

 

これは随分前からの自分の中での大きな疑問の一つだ。先に書いたように、教科書に載っているのだ。誰も隠してないのになぜ、ここを新聞もテレビもここを取り上げ議論をしないのか。それともどこかにあるのか。摩訶不思議なことだ。

 

今年も又、新聞等を目を凝らして探してみよう。急に出てくるとは思えないが。