ギフテット教育

文部科学省は、数学や語学など特定分野で突出した才能を持つ児童生徒について、学校での学習支援に初めて乗り出す、との記事が今年あった。これは早々に具体的に進めると良いだろう。

 

同じ年齢であれば、どの子も同じ教育を受けなければならない等という考えには無理がある。昔は日本でも飛び級制度というものがあったというが、それを復活させても良いだろう。ギフテット教育等と名を付けているというが、特殊な能力を持つというより、単に頭脳が高いような児童は別に分けて教育を受けさせた方が良いと考える。

 

皆ができるようなレベルの宿題やカリキュラムは、退屈に思う児童は少なくない筈だ。時間の無駄であるし、できるから他の児童から攻撃を受けることもままある。そんな中で学校生活を送らせることは、児童虐待に値するとすら思う。

 

その体験は、自分を含め多くの経験者が居ることであろうから、直接今の子供に聞くより、大人にその体験談を聞くということも一つであろう。当時を振り返って言語化するのは大人の方が適しているだろう。

 

日本社会が低次元化しているのは、この平等教育が根源なのではないかと思われる。一刻も早くそれから脱却して、その道を作っていくことが望まれる。